『男はつらいよ』シリーズをはじめ、多くの映画や舞台・ドラマなどで活躍している俳優のささたかさん(77歳)。シリアスな作品からコメディーまで確かな演技で多彩な役を演じてきた笹野さんですが、かつては脇役を演じることへの葛藤もあったといいます。笹野さんが“名脇役”と言われるようになるまでの俳優人生を語りました。

聞き手 鈴木由美子

この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2025年10月号(9/18発売)より抜粋して紹介しています。


映画俳優になりたいと言えなくて

──笹野さんは兵庫県・淡路島の出身で、ご実家は造り酒屋だったそうですね。

笹野 さようでございます。父親が社長をしていたんですけど、僕が3つのときに亡くなりまして。その後、母が結核を患い療養することになり、母や3人の兄たちと実家を出て別の家で暮らすようになりました。

母は映画が大好きで、幼いころからよく映画館に連れていかれたものです。学校に上がる前でしたから、ストーリーなんて分からなかったけど、お菓子を食べながら、母がしくしく泣いているのを見ていました。11のときにその母が亡くなり、僕たちはまた実家に戻って暮らすことになりました。

──いつから俳優を志していたんですか。

笹野 中学生のころ、母が恋しくて、昔一緒に行った映画館に行ってみたんです。母があんなに好きだった映画って一体何だったんだろうと思いましてね。そうしたら、それがおもしろくなっちゃって。何度か通っているうちに、「映画俳優って、いつも違うことをしていておもしろい。俺も映画俳優になりたい」と思い始めたんです。

でも、どうしたらなれるのか分かりません。身近に映画俳優になった人もいなかったし、周りの友達はみんな家業を継ぐような志を持っていたから、俳優になりたいと思っているなんてとても言えませんでした。それに、当時の映画俳優といったらいわゆる“二枚目”。背が高く鼻筋が通っていて眉毛の形もいい艶のある人ばかりでしたから。

──石原裕次郎さんや小林あきらさんのような。

笹野 そうそう。自分がそういう人たちみたいになりたいなんて言ったら、ばかにされて笑われると思って胸に秘めていました。

そんなある日、漫画雑誌の広告ページに映画俳優になるための方法が書いてあるという本を見つけまして。酒屋の切手をくすねてコッソリ注文したんです。家族にばれないよう郵便配達が来るのを毎日見張ってね。ようやく届いた本を開いて「これで俺も映画俳優になれる!」とワクワクしながらページをめくったら、「あめんぼあかいなあいうえお」なんて滑舌かつぜつをよくするための練習法や呼吸方法が書き連ねてあった。こんなので映画俳優になれるわけがない、だまされたと思って、引き出しの奥にそっと隠しておいたんですよ。

──家の人に見つかったら大変ですからね。

笹野 ところが、ある日帰宅したら3つ上の兄貴にその本をたたきつけられましてね。「高史!  なんだこれ、映画俳優になる方法って。まさかとは思うけども、映画俳優になろうっちゅうようなこと思っとんのちゃうやろな」と怒られたんですよ。僕は末っ子でしたから、兄たちは僕が道をそれないよう憂慮していたのでしょう。「もっとまともなことを考えろ。お前は酒屋の四男坊。家業を助けるためにはどうすべきかを考えろ」と延々と諭されました。それでも俳優になりたいという気持ちが消せなくて、とにかく東京に出ようと、東京の大学へ進学したのです。

※この記事は2025年6月19日放送「どうしても役者になりたい! 思いは通じる」を再構成したものです。


日本大学での盟友との出会いや、在学中に世界を渡った船乗り時代、そして役者の道へ進んだ劇団生活など、笹野さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』10月号をご覧ください。

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