
プロレスの実況中継やバラエティー、ニュースなど、さまざまな番組を担当してきた徳光和夫さん(84歳)。アナウンサー歴60年を超えた今も、親しみやすいキャラクターでお茶の間に人気です。そんな徳光さんの原点、そして仕事を続けるうえでの信念とは?
聞き手 小笠原実穂
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年3月号(2/18発売)より抜粋して紹介しています。
“やりたくないこと”こそ糧に
――徳光さんはアナウンサーとしてテレビ局に入局した当初、あまり乗り気じゃなかった仕事が2つあって、それがプロレス実況とニュースだったそうですね。
徳光 私はとにかく長嶋(茂雄)さんの大ファンで、熱いプレーの一挙手一投足を自分の言葉でしゃべりたい一心で、アナウンサーになったんです。アナウンサーの仕事って、王道はやっぱりニュースかスポーツ中継。スポーツの中でも当時はとりわけ野球が花形で、プロレス中継は視聴率こそ高かったけど、スポーツとしては王道からちょっと外れた感じに見られていました。私もプロレスはショーであって、スポーツとして成立してないんじゃないかという思いがあって。
――やりたくなかったのにやらされた。
徳光 ええ。私のアナウンサー道はこれで終わりかなっていうくらい落ち込みました。普通は取材したものをもとに頭の中に引き出しを作って、それを引っ張り出して実況するのがスポーツ中継のだいご味なんです。でも当時は外国人レスラーに取材ができず、情報も全く入ってこなかった。楽屋に押しかけても、彼らは葉巻をくわえてバーボン片手にカードなんかしてるわけですよ。あげくの果てに「あっち行け」と追い出されちゃう。
しかたなく想像力を総動員して、例えばブルーノ・サンマルチノの場合、「46度の傾斜を6キロの丸太を担ぎながら毎日20往復するという、別名“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノであります」としゃべって。おかげでずいぶんアドリブ力がつきましたね。
そんな私なりの実況中継がおもしろいとバラエティー番組のプロデューサーに言われて、やることになったのが「金曜10時! うわさのチャンネル! !」(日本テレビ系)。最初は視聴率が3、4パーセントだったのに、ザ・デストロイヤーがゲストに「4の字固め」をかける様子を実況中継したら、30パーセントくらいまでいっちゃったという。
あるとき彼が私に向かってきたんです。そして私を抱え上げて床に落として4の字固めに入った。それでも「マイクを離すな」ってゴッド姉ちゃんこと和田アキ子が言うもんですから、「これは痛い。今、その激痛が突き抜ける。俺はサラリーマンなんだ、激痛手当をよこせ!」みたいな中継をして(笑)。
※この記事は2025年11月11日放送「テレビとラジオ しゃべりの世界」を再構成したものです。
「ズームイン!!朝!」総合司会からフリー転身の経緯や、大みそかに司会を務める「年忘れにっぽんの歌」の舞台裏、認知症を患う妻への思いなど、徳光さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』3月号をご覧ください。

購入・定期購読はこちら
3月号のおすすめ記事👇
▼徳光和夫 アナウンサー歴六十余年 自分の言葉で勝負して
▼堀内恒夫 巨人軍の大エースが語る栄光のV9
▼佐藤弘道 苦難を乗り越えて自分にできることが見えてきた
▼介護・老後で困らない「健康・お金・住まい」の話 ほか