
川上哲治監督が率いる読売巨人軍が、1965(昭和40)年から9年連続で日本シリーズを制覇した「V9」。プロ野球史上にさん然と輝く大記録の陰には、どんな物語があったのでしょうか。エースとしてチームを支え、V9に貢献した堀内恒夫さん(78歳)が当時の思い出や自身の経験から導き出されたエース論を語ります。
聞き手 工藤三郎
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年3月号(2/18発売)より抜粋して紹介しています。
――巨人に入団したのは、川上巨人がV9の最初の優勝を果たした翌年。広岡達朗さん(ショート)、長嶋茂雄さん(サード)、森祇晶さん(キャッチャー)、王貞治さん(ファースト)、土井正三さん(セカンド)と、そうそうたる面々の中、新人ながら開幕6戦目で初登板しました。どんな気持ちでマウンドに上がったんですか。
堀内 前日の夜は寝つけなくて、高校の恩師である菅沼八十八郎監督に電話したんです。すると、「どうせ硬くなるだろうから、一球目はバックネットの中段に向かって思い切り投げろ」って言うんですよ(笑)。
翌日、実際にマウンドに上がると、興奮のせいか緊張のせいか、キャッチャーの森さんが見えない。焦りましたが菅沼監督の言葉を思い出して、バックネット中段にボールを投げたらお客さんに大笑いされましてね。それで緊張がほぐれて、ようやく森さんが見えるようになりました。
――1年目は16勝2敗で防御率1.39。新人王と沢村賞(注)を受賞し、V2に貢献しました。負ける気がしなかったでしょう。
(注) 正式名称は「沢村栄治賞」。プロ野球草創期の名投手・沢村栄治選手(読売巨人軍)の功績をたたえ、プロ野球シーズン中に最も好成績を挙げた「先発完投型」の投手に贈る賞。
堀内 もちろん、相手チームにも強打者がたくさんいましたが、なんといっても巨人には王さんと長嶋さんがいましたから。“ON”を上回る打者なんていないと思って投げていたので、全く打たれる気がしませんでした。
川上監督だからV9を達成できた
――川上監督はどんな監督でしたか。
堀内 勝負師ですよね。あまり口数は多くないけど、ここぞというタイミングで「今日の試合は天王山になるぞ」とおっしゃる。そうすると、選手が「そうか」って納得して勝っちゃうんです。王さん・長嶋さんをはじめ、すばらしい選手がそろっていたのは間違いないけれど、9年間ずっと強かったかといえば決してそうではなかったと思っています。極論を言えば、川上さんがいたから勝てた。ほかの監督では、とても9連覇はできなかったでしょう。僕らにとっては雲の上の存在で、あまりお話ししたこともありませんでした。
――長嶋さんは、堀内さんの結婚式で仲人を務められたと伺いました。
堀内 本当は川上さんにお願いしていたんですけど、僕が北陸の遠征で打たれたもんですから怒って「仲人やめた」と言われまして。
※この記事は2025年10月22日、11月19日放送「巨人V9を支えた大エースに聞く」を再構成したものです。
ハンディキャップを武器にした投球、記者からつけられた“悪太郎”のあだ名、大谷翔平選手より先に背負っていたドジャースの17番など、堀内さんの現役時代のお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』3月号をご覧ください。

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