
1970年代にダウン・タウン・ブギウギ・バンドで日本語ロックを定着させた宇崎竜童さん(80歳)。また、妻で作詞家の阿木燿子さんとのコンビで、山口百恵さんをはじめ、多くの歌い手に楽曲を提供してきました。80代を迎えた現在も“ロック道”を突き進んでいます。
聞き手 山本哲也
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年9月号(8/18発売)より抜粋して紹介しています。
山口百恵から教えられたこと
――宇崎さん阿木さんコンビといえば、山口百恵さんへの楽曲提供です。百恵さんと美空ひばりさんに共通するものとは?
宇崎 「歌う」という表現の才能です。引退後にお会いしたとき、歌をどのように練習していたのか百恵さんに聞いてみたんです。当時、新曲ができると、僕がギター1本で仮歌をつけたデモテープに歌詞カードをつけて百恵さんに渡していたのですが、それを聴いて覚えただけとおっしゃるんですね。でも当時彼女は映画、テレビ、ラジオ、イベント、取材と、とんでもない量の仕事をこなしていた。歌の練習に満足な時間は取れなかったはずです。でもレコーディングでは、第一声から非の打ちどころがない。デモテープに歌の表現の指示はないのに、収録では彼女にしかできない完成された歌声と表現になっている。今聴いても「本当に18歳?」と思うくらい。
――収録で百恵さんのすごさを感じたと。
宇崎 なんであんな表現ができるのだろうとよく思いましたね。例えば、サビなどで歌詞の1番と2番に同じ言葉の一節があったとして、2番では歌詞の中の物語が少し進展しているわけです。その進み具合を百恵さんは自然に歌い分けて、表現のニュアンスを変えてくる。すごかったですね。
――百恵さんへの楽曲提供は、ご苦労も多かったのでしょうか。
宇崎 ラストシングルの「さよならの向う側」については、僕も阿木も百恵さんを17歳のときから見続けてきたので、詞も曲も自然に生まれてきました。でも、そこに至るまでは、自然にできた曲は1曲もありません。毎回どういうメロディーにするか、どういう詞を書けばいいか議論を重ねながら作っていたので、苦労しました。だから引退することを聞いたときは、「やめちゃうの?」という思いと「もう書かなくていいんだ」というどこかホッとするような気持ちがないまぜになりました。
なにしろシングルを3か月に1回、アルバムを4か月に1回出すわけで、引退までの約4年半は常に次の曲のことを考える日々でした。ディレクターと打ち合わせした翌日に「曲できましたか?」と電話がかかってくる。もう脅迫です(笑)。
※この記事は2026年4月29日、30日放送「宇崎竜童 80歳からのロック道」を再構成したものです。
アメリカ文化に憧れた少年時代、美空ひばりの「リンゴ追分」から受けた衝撃、つかこうへいに学んだ自己演出術。ロックとともに独自の音楽人生を切り拓き、80歳を迎えた今もステージに立ち続ける宇崎さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』9月号をご覧ください。
9月号にはこのほか、5号連続企画「『深夜便』で読む戦争」の第2弾、陸軍整備兵として特攻隊員を見送った104歳の僧侶・三田村鳳治さんのインタビューを掲載。また、世界有数の伝統芸術である“アラビア書道”の第一人者、本田孝一さんのインタビューも作品のカラー写真とともにご紹介しています。

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