
磨き上げられた古典落語と独創的な新作落語で“現代落語の最高峰”とも評される立川志の輔さん(72歳)。会社員から落語家へ転身し、師の立川談志さんの薫陶を受け、落語立川流を代表する存在に。演劇的な演出など比類なき芸道を切り開いてきました。
聞き手 小笠原実穂
この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年10月号(9/18発売)より抜粋して紹介しています。
「志の輔らくご」を作った会社勤め
──落語との出会いはいつだったのでしょう。
志の輔 明治大学に入学してキャンパスを歩いていたら、着物姿の落語研究会の先輩に声をかけられたんです。その人についていったら、教室で1人の先輩が100人くらいの学生を相手にしゃべっている。その人がひと言話すと観客みんながドーンと笑う。それで「これが落語か!」と思って。
──そもそもしゃべることはお得意で?
志の輔 子どものころは、近所の人が「お前は口から生まれたみたいなやつだな」と褒めて(?)くれました(笑)。小学校から帰ると、ランドセルを放り出して、近所の精肉店にまっしぐら。ショーケースの内側に入って、「いらっしゃいませ」とか言って接客する。
50円のお釣りを返すところを「はい、お釣り、50万円」なんて言うと、買い物客の大人たちが笑う。子ども心に人の笑顔ってハッピーになるなと思ったんですよね。
──落研に入ってからプロの落語も聴くようになったのですか?
志の輔 もちろん寄席には行っていました。おもしろいと思った演目は、落語本で調べて、一生懸命覚えて、先輩に教わるという落語漬けの日々。落語研究会の先輩・三宅裕司*さんの影響も大きかったですね。三宅さんは人を楽しませる天才でした。学生運動の余韻がまだ残っている時代で、4年間のうち、3年間はロックアウト(校舎封鎖)状態。おかげで無心で落語に取り組めて楽しかったですね。
* 1951年生まれ。俳優・タレント。1979年、「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」を結成。演劇・テレビ・映画などでマルチに活動。
──それで卒業はできたのですか?
志の輔 ちゃんと卒業しましたよ(笑)。学生時代は、落語はあくまでも落研でやるもの、プロになろうとは思いもしませんでした。職業にするとつらいことが想像できたし、そんな厳しい世界で自分がやっていけるわけないと。それで、卒業後に何をやろうかと思っていたら、三宅さんが小さな劇団に入った。じゃあ、私も演劇の世界を見てみようと劇団の養成所に入ったんですね。
──演劇の世界を経て、広告代理店でサラリーマン生活も経験されたそうで。
志の輔 はい。私の落語は演劇的と言われることが多いんです。15秒間でオチをつけ、人をハッとさせたり笑わせたりするCM制作の経験が生きているんじゃないかな。「志の輔らくご」は、演劇の世界や広告業界にいなければ、生まれていなかったと思います。
※この記事は2026年6月23日放送「伝統を背負い、拓く道」を再構成したものです。
28歳で入門した師・立川談志さんとの忘れがたい出会い、落語協会脱退後の立川流で歩んだ道のり、そして談志さんから受け継いだ「うまくやれ」という言葉への思い。落語と向き合い続けてきた志の輔さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』10月号をご覧ください。
10月号にはこのほか、書店主・書評家の辻山良雄さんと柴田祐規子アンカーによるコーナー「本の国から」の特集企画を掲載。さらに、5号連続企画「『深夜便』で読む戦争」第3弾として、占守島の戦いを経験し、その後シベリア抑留を生き抜いた104歳の高橋昇一さんのインタビューもご紹介しています。

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