赤い鳥「翼をください」の作曲者であり、荒井由実(松任谷由実)を世に送り出し、YMO*1を世界的なアーティストにしたむらくにひこさん。ニューミュージック、テクノポップという言葉がまだ存在しなかった時代の音楽シーンに新たな地平を切り開いた名プロデューサーの生き方は、80代を迎えた今も軽やかです。

*1 イエロー・マジック・オーケストラ。コンピューター、シンセサイザーを使用した楽曲でテクノポップ・ブームを巻き起こした。

聞き手 徳田章

この記事は月刊誌『ラジオ深夜便』2026年7月号(6/18発売)より抜粋して紹介しています。


ユーミンを見いだし、YMOで世界制覇

――松任谷由実さんとの出会いは?

村井 加橋かつみ*2のアルバム制作でスタジオに行ったら、すごく斬新ないい曲があった。「誰が書いたの?」と尋ねたら、高校生だという。それがユーミンです。すぐにアルファミュージックの作家第1号として契約しました。契約は大学受験が済んでからでしたが、実際は高校生のときから僕のところに曲を持ってきていました。

*2 1948年生まれ。ザ・タイガースのリードギターとして活躍する。バンド脱退後はソロミュージシャンとして活動。

――後に有名になる曲もあったんですか?

村井 「ひこうき雲」は、その中の1曲ですね。実は当初、ユーミンは作家として売り出すつもりでした。「ひこうき雲」は雪村いづみさんに歌っていただこうと思っていたんです。雪村さんもすごく気に入って、実際にレコーディングもしたんですよ。

――ユーミンのどこにかれたのでしょう。

村井 純粋で清らかで、技術的にも新しい。和音や転調をうまく使っていくところとかね。曲がすばらしいし、詞もいいですよね。

――どういういきさつで彼女自身が歌うようになったんですか?

村井 デモテープを聴いていると、彼女にしか歌えないような曲がたくさん出てくる。これはもう本人にパフォーマーとして歌ってもらおうと。でも彼女、歌のトレーニングはしてこなかったから、レコーディングは大変で、歌入れは1年がかりでしたね。

※この記事は2026年3月15日、16日放送「芸の道 輝きつづけて」を再構成したものです。


細野晴臣さんとのエピソードやYMO誕生の舞台裏をはじめ、「翼をください」など数々の名曲を手がけてきた村井さんのお話の続きは、月刊誌『ラジオ深夜便』7月号をご覧ください。
7月号にはこのほか、千年の歴史を誇る大阪天満宮の「天神祭」(カラー写真掲載)を研究する高島幸次さん、元海上保安庁・海難救助隊の初代隊員・長南宰司さんのインタビューも掲載しています。

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